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お江与の方(崇源院)戒名(駿州大納言忠長母崇源院殿一品大夫人昌譽大禪定尼)

戒 名
駿州大納言忠長母崇源院殿一品大夫人昌譽大禪定尼
(すんしゅうだいなごんただながははすうげんいんでんいっぽんだいぶにんしょうよだいぜんじょうに)
「昌(うつくし)い誉は、崇(たっとい)源(みなもと)」
名前
お江与の方(崇源院)
(おえよのかた(すうげんいん))
職業 安土桃山時代から江戸時代初期の女性。徳川二代将軍徳川秀忠夫人。
没年時 寛永3年9月15日〈1626年11月3日〉

写真転用元:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bf/Oeyo.jpg

戒名の説明

次男・忠長を溺愛していたことで知られるお江与。忠長を将軍にしようと努力したものの報われず、結果として忠長はお江与の死後に駿府城を追われ、自害します。しかし、彼女のお墓はその徳川幕府によって開拓が進められた高野山墓所の奥にある院で、最も大きな「一番墓」としてそびえ立っており、すぐ隣には長女・千姫の墓があります。崇高で、うつくしく、名誉ある母親であったことの証なのかもしれません。

人物の紹介

崇源院-Wikipedia

崇源院(すうげんいん、天正元年〈1573年〉 – 寛永3年9月15日〈1626年11月3日〉)は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。一般には江(ごう)、小督 (おごう)、江与(えよ)として知られる。位階は従一位。

 

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