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佐藤直方 戒名(一貫了道居士)

戒 名

階級:居士・大姉

一貫了道居士
(いっかんりょうどうこじ)
「道を了(きわめ)一筋に貫く」
名前
佐藤直方
(さとうなおかた)
職業 江戸時代の儒学者。
没年時 享保4年8月15日(1719年9月28日)没、享年70歳

写真転用元:http://pds.exblog.jp/pds/1/201111/25/04/c0187004_1075344.jpg

人物の紹介

佐藤直方-Wikipedia

“佐藤 直方(さとう なおかた、慶安3年閏10月21日(1650年12月14日) – 享保4年8月15日(1719年9月28日))は、江戸時代の儒学者。幼名は彦七。通称は五郎左衛門、三郎左衛門。父は備後福山藩士土佐藤七郎兵衛。門人に稲葉黙斎がいる。
学問を志して京に昇り、山崎闇斎の門に入って研鑽を積み、知識を深めて浅見絅斎、三宅尚斎と並び崎門の三傑と称されるほど台頭したが、闇斎が唱えた垂加神道に批判的であったことから袂を分かち、江戸へ昇った。後、福山藩や厩橋藩主酒井忠挙などに招聘され、講釈に励んだが、享保3年(1718年)には致仕して神田紺屋街に居住し、翌年唐津藩主土井利実に講釈を行いに赴く道中発病して倒れ、翌日没した。
日本の神々だけを中心に考える事に反対し、「自分が生まれた国や父母を、薬売りのようにわがままに自慢するのでは、天下の公理とはいえない」と述べ、家や国を超えた普遍的な宇宙の理(天理・公理)にもとづいて考えるべきだと説いた。
元禄赤穂事件が起こった折、大衆や多くの有識者がその仇討を義挙と礼賛する中、幕府を顧みない愚挙に踏み切った逆臣であると赤穂浪士を弾劾したことで知られる。豪放磊落な人となりで清貧な生活を好み、江戸に在住していた際の困窮していた生活を伝えるエピソードが残されている。”

戒名の階級・位号が「居士・大姉」の有名人

有名人 戒名 戒名読み
津田宗及 法眼受世宗及居士 ほうげんじゅせそうぎゅうこじ
雲龍久吉 雲山玄龍居士 うんぜんげんりゅうこじ
谷風梶之助 釋姓谷響了風居士 しゃくせいやきょうりょうふうこじ
佐藤春夫 凌霄院殿詞誉紀精春日大居士 りょうしょういんでんしよきせいしゅんにちだいこじ
大宅壮一 衆生院釈茫壮一大居士 しゅじょういんしゃくぼうそういちだいこじ

「文人/学者」として活躍した有名人の戒名

樋口一葉の戒名
智相院釋妙葉信女
牧野富太郎の戒名
浄華院殿富嶽頴秀大居士
大濱信泉の戒名
大闊院殿徹翁信泉大居士
斎藤茂吉の戒名
赤光院仁譽遊阿暁寂淸居士
平賀源内の戒名
知見靈雄居士
椿椿山の戒名
淸相院法随

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