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山内一豊 戒名(大通院心峯宗傳)

戒 名
大通院心峯宗傳
(だいつういんしんぽうそうでん)
「心念の峯は、尊い宗(おしえ)を伝え、大いに通う」
名前
山内一豊
(やまうちかつとよ)
職業 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。土佐山内氏の当主。
没年時 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。土佐山内氏の当主。 慶長10年9月20日(1605年11月1日) 没

写真転用元:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/61/Yamanouchi_Kazutoyo.jpg

戒名の説明

夫人による内助の功を受けながら土佐一国の領主に上り詰めた武将、山内一豊。まさしく、彼の生き方が表れた戒名と言えるでしょう。

人物の紹介

山内一豊-Wikipedia

山内 一豊(やまうち かつとよ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。土佐山内氏の当主。
父は岩倉織田氏の重臣・山内盛豊、母は法秀尼(法秀院とする説もある。尾張の土豪・梶原氏の娘か)。祖父は山内久豊。兄に山内十郎、弟に山内康豊。妻は内助の功で知られる見性院(「千代」の名で有名だが、実名かどうかは定かでない。若宮友興の娘とも遠藤盛数の娘とも言われる)。通称は伊右衛門もしくは猪右衛門(いえもん)。後に康豊の嫡男・山内忠義(第2代藩主)を養子とした。織田信長や豊臣秀吉、徳川家康らに仕え(これにより、三英傑と称される3人に仕えた事になる)、関ヶ原の戦いにおいては徳川方に与した軍功により土佐国9万8千石を与えられた。その後、高直しにより20万2,600石を領した。土佐藩初代藩主。家紋は三つ柏紋。

「武将/武人/姫」として活躍した有名人の戒名

徳川忠長の戒名
峯源院晴徹暁雲大居士
足利義政の戒名
慈照院殿喜山道慶大禪定門
源頼朝の戒名
武皇嘯厚大禪門
藤原道長の戒名
行覺
源頼家の戒名
義仁
源頼義の戒名
信海

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