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森鴎外 戒名(貞献院殿 文穆 思斎 大居士)

戒 名

階級:大居士・清大姉

貞献院殿 文穆 思斎 大居士
(ていけいいんでんぶんぼくしさいだいこじ)
「文に厳しく思い斎(ととの)え、貞(ただ)しく献げまつる」
名前
森鴎外
(もりおうがい)
職業 明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。
没年時 1922年7月9日没、満60歳

写真転用元:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/67/Ougai_Mori_October_22%2C_1911.jpg

戒名の説明

「貞」には「正しい」「堅い」という意味があります。道号である「文穆」の「文」は、徳が高くて知識が広く、学問に熱心で、多くの人に慈恵を与えるという意味、そして「穆」には、穏やかで慎み深いさま、威厳、美しさといった広い意味が含まれています。戒名の「思斎」は、まさに日本の近代を開いた森鴎外にこそふさわしいものと言えるでしょう。

人物紹介

NAVER まとめ-【青空文庫】森鴎外の名作まとめ【日本人の教養】

日本人として読んでおくべき森鴎外の名作をまとめました。

森鴎外-Wikipedia

森 鷗外(もり おうがい、1862年2月17日(文久2年1月19日)– 1922年(大正11年)7月9日)は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。石見国津和野(現・島根県津和野町)出身。東京大学医学部[1]卒業。

第一次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称される。大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツで4年過ごした。帰国後、訳詩編「於母影」、小説「舞姫」、翻訳「即興詩人」を発表する一方、同人たちと文芸雑誌『しがらみ草紙』を創刊して文筆活動に入った。その後、日清戦争出征や小倉転勤などにより、一時期創作活動から遠ざかったものの、『スバル』創刊後に「ヰタ・セクスアリス」「雁」などを発表。乃木希典の殉死に影響されて「興津弥五右衛門の遺書」を発表後、「阿部一族」「高瀬舟」など歴史小説や史伝「澁江抽斎」等も執筆した。晩年、帝室博物館(現在の東京国立博物館・奈良国立博物館・京都国立博物館等)総長や帝国美術院(現日本芸術院)初代院長なども歴任した。

戒名の階級・位号が「大居士・清大姉」の有名人

有名人 戒名 戒名読み
土方歳三 歳進院 誠山 義豊 大居士 さいしんいんせいざんぎほうだいこじ
近藤勇 貫天院殿 純義 誠忠 大居士 かんてんいんでんじゅんぎせいちゅうだいこじ
花菱アチャコ 阿茶好院 花德 朗法 大居士 (あちゃこういんかとくろうほうだいこじ)
後藤新平  天眞院殿 祥山 棲霞 大居士 てんしんいんでんしょうざんせいかだいこじ
榎本健一 天真院殿 喜王 如春 大居士 てんしんいんでんきおうにょしゅんだいこじ

「文人/学者」として活躍した有名人の戒名

樋口一葉の戒名
智相院釋妙葉信女
牧野富太郎の戒名
浄華院殿富嶽頴秀大居士
大濱信泉の戒名
大闊院殿徹翁信泉大居士
斎藤茂吉の戒名
赤光院仁譽遊阿暁寂淸居士
平賀源内の戒名
知見靈雄居士
椿椿山の戒名
淸相院法随

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