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酒井抱一 戒名(等覺院 文詮 暉眞)

戒 名
等覺院 文詮 暉眞
(とうがくいんもんせんきしん)
「文に詮(そな)わり、真の暉(ひかり)等しく覚(さと)る」
名前
酒井抱一
(さかいほういつ)
職業 江戸時代後期の絵師、俳人。 権大僧都。
没年時 文政11年11月29日(1829年1月4日)没、満67歳

写真転用元:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Natsu_aki_kusa-zu_byobu_2.jpg

戒名の説明

「暉」の字は、経典にもよく用いられてます。仏教的な匂いや美しさを醸す、雅字の一つです。

人物の紹介

NAVER まとめ-【浮世絵師】酒井抱一(さかいほういつ)の作品画像ギャラリー

1761年8月1日-1829年1月4日(68歳死去)。江戸時代後期を代表する江戸琳派(えどりんぱ)の創始的絵師である。独自の洒脱で叙情的な作風を確立しました。代表的な絵師として広く認知されています。代表作『夏秋草図屏風』『月に秋草図屏風』などがあります。

酒井抱一-Wikipedia

酒井 抱一(さかい ほういつ、 宝暦11年7月1日(1761年8月1日) – 文政11年11月29日(1829年1月4日))は、江戸時代後期の絵師、俳人。 権大僧都。本名は忠因(ただなお)、幼名は善次、通称は栄八、字は暉真(きしん)。ほか、屠牛、狗禅、鶯村、雨華庵、軽挙道人、庭柏子、溟々居、楓窓とも号する。

また俳号は、ごく初期は白鳧・濤花、後に杜陵(綾)[1]。狂歌名は、尻焼猿人[2]。屠龍(とりょう)の号は俳諧・狂歌、さらに浮世絵美人画でも用いている。
尾形光琳に私淑し琳派の雅な画風を、俳味を取り入れた詩情ある洒脱な画風に翻案し江戸琳派の祖となった。

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