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黒田官兵衛(黒田孝高)戒名(龍光院如水圓淸)

戒 名
龍光院如水圓淸
((りょうこういんじょすいえんせい))
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
名前
黒田官兵衛(黒田孝高)(
(くろだかんべえ(くろだよしたか))
職業戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
没年時慶長9年3月20(1604年4月19日)(グレゴリオ暦1604年5月17日) 、満57歳

写真転用元:http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/03/Yoshitaka_Kuroda.jpg

戒名の説明

如水は出家後の号です。秀吉が黒田のことを「あの男がその気になれば、わしが生きている間にもすぐ天下を取るだろう」と言っていたと人伝手に聞き「我家の禍なり」と言って頭を丸めて出家したと言います。字の通り「水の如く」の清らかさや柔らかさを表し、人生訓であったと考えられます。

人物の紹介

NAVER まとめ-黒田如水(黒田官兵衛)の発言・格言・名言集【黒田孝高】

戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名であった黒田如水(黒田官兵衛孝高)の名言を集めました。生前は豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍し、ダウンタウンの松本人志さんも好きな人物だそうです。キリスト教に仕え、キリシタン大名でもあった黒田官兵衛語録をどうぞ。

黒田孝高-Wikipedia

“黒田 孝高(くろだ よしたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。孝高は諱で、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは出家後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。
豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。キリシタン大名でもあった。子に黒田長政がいる。

「武将/武人/姫」として活躍した有名人の戒名

徳川忠長徳川忠長の戒名
峯源院晴徹暁雲大居士
足利義政足利義政の戒名
慈照院殿喜山道慶大禪定門
源頼朝源頼朝の戒名
武皇嘯厚大禪門
藤原道長藤原道長の戒名
行覺
源頼家源頼家の戒名
義仁
源頼義源頼義の戒名
信海

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